貝谷八百子

貝谷 八百子(かいたに やおこ、1921年3月15日 - 1991年3月5日)は、日本バレリーナ振付家である。本名・貝谷スミ子[1]

貝谷八百子バレエ団特別公演『ロミオとジュリエット』上演パンフレットより、ジュリエット役の貝谷。1956年2月頃

生涯

1921年(大正10年)、貝谷真孜の三女[2]として福岡県大牟田市で生まれる。生家は鉱山主で、豊かな家庭だったといわれる。1933年(昭和8年)、文化学院に入学するため上京し、1934年(昭和9年)からエリアナ・パブロワバレエを学んだ。1938年(昭和13年)、貝谷バレエ団を立ち上げ、歌舞伎座を借り切ってデビュー公演を行った。1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)まで、二階堂トクヨの日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)でクラシックバレエを指導した[3]

1946年(昭和21年)、蘆原英了小牧正英などとともに東京バレエ団[4]を結成した。東京バレエ団は同年8月9日帝国劇場で第1回公演『白鳥の湖』全幕を日本初演し、貝谷は主役(オデット)を務めた。

1950年(昭和25年)に東京バレエ団が解散した後もバレエ界で活躍を続け、1965年(昭和40年)に貝谷芸術学院を設立し、後進の育成や指導にあたった。日本バレエ協会副会長や、全日本舞踊連合理事などの要職も務めた。

1990年(平成2年)、肺炎のため逝去した。没後の2007年(平成19年)、「日本における『白鳥の湖』発祥の地記念碑」が貝谷バレエ団の敷地内に建立され、同年8月9日に除幕式が行われた[5]。墓所は多磨霊園(21区1種10側8-2番)。

主な振付作品

1955年3月16日から22日にかけて、貝谷バレエ団の『シンデレラ』が東京産経会館ホールで上演された。シンデレラ役の貝谷八百子[6]

出演

映画

テレビ

主な受賞歴

参考文献

  • 村山茂代「二階堂トクヨとダンス―ダンスの研究と指導について―」第34号、日本女子体育大学紀要、2004年3月、NAID 120005906249。 

関連項目

  • 永光基乃 - 女優・バレエダンサー。貝谷の門下でバレエを学び、1992年の貝谷八百子追悼公演『コッペリア』で主役を踊っている。
  • 糸川英夫 - 「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれた工学者。60歳で貝谷バレエ團に入団し、貝谷は「有名な科学者でも、他の団員と同じように基礎から練習をしてもらいます」と下のクラスから始めさせた[9]

脚注

  1. ^ 貝谷バレエアカデミー ホームページ 貝谷八百子バレエ団の歴史(2016年11月7日閲覧)
  2. ^ 大牟田市史編集委員会編『大牟田市史』下巻、大牟田市、1968年、898頁。『人事興信録』第11版 改訂版 上、人事興信所、1938年、カ60頁。
  3. ^ 村山 2004, p. 54.
  4. ^ 現在の東京バレエ団とは直接の関係はない。東京バレエ団の項目を参照のこと。
  5. ^ 「白鳥の湖」発祥の地に記念碑建立」
  6. ^ 『サンケイグラフ』1955年4月10日号、産業経済新聞社。
  7. ^ allcinema
  8. ^ 東京新聞制定舞踊芸術賞(2010年4月19日閲覧)
  9. ^ 冨田勲の2012年のアルバム『惑星 ULTIMATE EDITION』ブックレットに冨田が寄せた「このアルバムを糸川英夫氏に捧ぐ」より。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、貝谷八百子に関連するカテゴリがあります。
  • 貝谷バレエアカデミー
  • 日本バレエ界に忘れえぬ足跡を印した人々(公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト) 
  • 歴史が眠る多磨霊園 - 貝谷八百子
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回
第20回
第21回
第22回
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第41回
第42回
第43回
第44回
第45回
第46回
第47回
第48回
第49回
第50回
第51回
第52回
第53回
第54回
第55回
第56回
第57回
第58回
第59回
第60回
第61回
第62回
第63回
第64回
第65回
第66回
第67回
第68回
第69回
第70回
第71回
第72回
第73回
第74回
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • 日本