| この項目では、かつての州について説明しています。陝西省商洛市の市轄区については「商州区」をご覧ください。 |
商州(しょうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の陝西省商洛市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
487年(太和11年)、北魏により設置された洛州を前身とする。洛州は上洛城に州治を置き、上洛郡・上庸郡・魏興郡・始平郡・萇和郡の5郡を管轄した[1]。
北周のとき、洛州は商州と改称された。
隋代
隋代が成立すると当初は4郡5県を管轄した。605年(大業元年)に上州上津県が移管された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い上洛郡と改称され、下部に5県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
618年(武徳元年)、唐により上洛郡は商州と改められた。742年(天宝元年)、商州は上洛郡と改称された。758年(乾元元年)、上洛郡は商州の称にもどされた。商州は山南西道に属し、上洛・豊陽・乾元・商洛・洛南・上津の6県を管轄した[3]。
宋代
北宋のとき、商州は永興軍路に属し、上洛・豊陽・商洛・洛南・上津の5県を管轄した[4]。
金のとき、商州は京兆府路に属し、上洛・洛南の2県と商洛・豊陽の2鎮を管轄した[5]。
元代
元のとき、商州は奉元路に属し、洛南県1県を管轄した[6]。
明代以降
明のとき、商州は西安府に属し、商南・雒南・山陽・鎮安の4県を管轄した[7]。
1725年(雍正3年)、清により商州は直隷州に昇格した。商州直隷州は陝西省に属し、鎮安・雒南・山陽・商南の4県を管轄した[8]。
1912年、中華民国により商州直隷州は廃止され、商県・洛南県・柞水県が置かれた。
脚注
- ^ 『魏書』地形志二下
- ^ 『隋書』地理志中
- ^ 『旧唐書』地理志二
- ^ 『宋史』地理志三
- ^ 『金史』地理志下
- ^ 『元史』地理志三
- ^ 『明史』地理志三
- ^ 『清史稿』地理志十
宋朝の行政区分 |
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北宋 |
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京畿路 | |
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京東東路 | |
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京東西路 | |
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京西南路 | |
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京西北路 | |
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河北東路 | |
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河北西路 | |
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河東路 | |
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永興軍路 | |
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秦鳳路 | |
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両浙路 | |
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淮南東路 | |
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淮南西路 | |
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江南東路 | |
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江南西路 | |
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荊湖北路 | |
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荊湖南路 | |
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福建路 | |
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成都府路 | |
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梓州路 | |
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利州路 | |
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夔州路 | |
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広南東路 | |
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広南西路 | |
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南宋 |
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両浙西路 | |
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両浙東路 | |
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江南東路 | |
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江南西路 | |
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淮南東路 | |
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淮南西路 | |
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荊湖南路 | |
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荊湖北路 | |
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京西南路 | |
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福建路 | |
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成都府路 | |
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潼川府路 | |
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夔州路 | |
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利州路 | |
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広南東路 | |
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広南西路 | |
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上京路 | |
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中都路 | |
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東京路 | |
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北京路 | 府 | |
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州 | - 利州
- 義州
- 錦州
- 瑞州
- 懿州
- 建州
- 全州
- 慶州
- 興州
- 泰州
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西京路 | 府 | |
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州 | - 豊州
- 弘州
- 浄州
- 桓州
- 撫州
- 昌州
- 宣徳州
- 朔州
- 武州
- 応州
- 蔚州
- 雲内州
- 寧辺州
- 東勝州
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部族節度使 | - 烏昆神魯
- 烏古里
- 石塁
- 助魯
- 孛特本
- 計魯
- 部羅火札石合
- 土魯渾札石合
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詳穏 | - 咩乣
- 木典乣
- 骨典乣
- 唐古乣
- 耶剌都乣
- 移典乣
- 蘇木典乣
- 胡都乣
- 霞馬乣
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南京路 | |
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河北東路 | |
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河北西路 | |
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山東東路 | |
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山東西路 | |
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大名府路 | |
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河東北路 | |
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河東南路 | |
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京兆府路 | |
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咸平路 | |
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鳳翔路 | |
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鄜延路 | |
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慶原路 | |
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臨洮路 | |
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